第11回課題進捗

課題発表時のブレスト(?):

とりあえず体の動きに関連しているものを適当に挙げてみただけ。

第10回課題終了後のひとりブレスト:

  • 音ゲー(=手先だけでなく体全体を使うものが多い)
    ・変遷
     ・「パラッパラッパー」(CSゲーム機のコントローラー使用)から「Dance Evolution」(Kinectを用いた体全体を用いた操作)まで
    ・楽器との違い
    ・「名譜面」の分析
  • 道具→ガラケースマホの進化
    ・新デバイスと身体性の絡み
  • 身体の動きによる表現:ダンス、能
  • 五郎丸選手のメンタルトレーニング(タイムリーなので)
  • プリキュアS☆S、満と薫の身体性
    ・インタラクションと人間性
  • ダンス
    ・振付師の表現
    ・配置、動きによる表現
  • 宇宙飛行士
  • 「身体をモチーフにした表現」でいいんじゃないか
    ・そう捉えればかなり範囲が広がる。文学、美術、映画…
     人の動きとか、動作とか。
     しかし、「身体を描いた絵画」は難しそう?(今考えると行けるかも)
    複数の図→その関係性
  • 都市、工業デザイン
    ・デザインの推移に隠されたもの=批評的視点
    ・テマティスム、上昇、下降…

そもそも「「身体の動き」について批評する」ということの意味が考えられていなかったので、ブレストしているうちに「あれ、批評って何だっけ・・・?」というところに何たび目か、立ち戻ることになるのであった。

なんらかの人間の意図が表現されたものでなければ批評する意味はないんじゃないかと思った。例えば「進化」について批評はできるだろうか?雪の結晶に対して批評はできるだろうか?造物主や物理法則を擬人化して、その作品とみなして批評できるのだろうか?

できるのかもしれないが、少なくともそういう「批評」はこれまで書いてないし、下手に取り組んでも批評とは異なる何か別のものになってしまう予感しかしない。

だから、「人間の意図が含まれた表現」に絞ることにした。
そういう意味では「ジャニーズのライブ」とか「ダンス」とか「映画」は、批評の対象としては悪くはないはずだ。

しかし、人間の意図が含まれていたとして、「その意図を読み解く」だけではただの事実の羅列になってしまう。

(今回は「身体の動き」がテーマということで、「社会」や「状況」の回よりもう少し前半の課題に近くて取り組みやすいんじゃないか…?と思っていたのだが、結局ここまで立ち戻って批評について改めて考えさせられることになった。ちょっと意外だったかもしれない。これが課題の作意だったのだろうか…?)

しかし作者の意図したもの、既に歴史上に明示的に記録されている事象を列挙していくだけでは批評ではなく、ただの歴史ライターになってしまう。
そこで、2回目の講義で東さんがおっしゃっていたこと——「批評とは歴史を変えることだ」という言葉——が思い出されるわけだ。そう、既存の歴史解釈を変えることが批評家には求められている。その視点からは、作者すら自覚していなかった新たな解釈が、この上ない説得力を持って語られるのである。めでたしめでたし。

そのように改めて考えてみると「テマティスム」も非常に自然な批評の方法論かなあと思えてくるわけだが・・・

というわけで、①人の意図が込められた作品であること ②意図の裏に隠された解釈を導き出すこと それを意識してテーマを決めようと思った。

さて、ここでもう一つ「図で批評する」という最大の条件について考えなおす必要がある。ここまで批評について再検討してきたが、ではその批評を「図で」行うとはどういうことか?

図によって隠された解釈を導く…。どうもピンと来ない。

ともかく、とりあえず「作品」としてもっとも手軽にアクセスできる「映画」を適当に観てみることにした(今回は課題提示から締め切りまでが3週間空きなので、多少の余裕があった)。

 

そこで『ライフ・オブ・パイ』『セッション』『マッドマックス 怒りのデス・ロード』の3作品をレンタルして観てみた。必ずしも課題のテーマにしようと思ってみたわけでもなく、手がかりが得られればいいなと思って娯楽半分で観たものだ。テーマになりそうな「身体の動き」としては、原題がWhiplash(=「鞭打ち」)であり、ジャズ・ドラムという体全体を使った楽器が主役に据えられているので、『セッション』がとても書きやすいように思えたのだが、いかんせんこの作品の魅力を全開まで描かなければならないというところではたと足が止まってしまった。正直、自分はこの映画で誰にも感情移入できなかったし、フレッチャー教授は最後の最後で自分の中ではただの嘘つきで性悪のファックな人間という解釈になってしまったので、これをがんばって視聴して、面白い観点を探すという行為ははっきり言って苦痛にしか思えず、憂鬱だった。

いっそ『マッドマックス』での豪快無比で吹っ切れてるアクションについて図でどうこうしようかとも思ったが、ふと『ライフ・オブ・パイ』でボートと筏の関係について思いついてこれが書きやすそうだと思った。この映画自体なかなか面白かったし映像と音楽がキレイだったし。主演のインド人の叫び方が単調だなあというきらいはあったけれども。もちろん、その時には「ボートと筏の関係で何か一つ書けそうだ」という直観に過ぎず、実際に後に提出した作品の結論(?)には全く至っていなかった。これが「身体の動き」についての批評、という課題に対して答えになりうるのかはわからないし、そろそろ時間がなくなっていた。『セッション』への多少の未練はなかったかというと嘘になる*1が、やむを得ない。

上記ツイートは完全に率直な実感で、締め切りが明確に決まっている作品は往々にしてこういう事態に遭遇する。その時に提出を潔く諦める人もいるのだろう。

 

*1:ちなみにセッションなら何を書いたか、というのは自分にも全くわからないし、特に何が思いついたわけでもない。