さやわかさんの講義を受けて

再生塾の前半は「文化」個々のジャンル、後半はもっと広い形で「政治」とか「社会」とか「状況」というテーマとなっている
さやわかさんはちょうど折り返し地点で、「前半の「文化」について書きながら、後半扱うべき「社会」について書けるのか」というのが一つの裏?テーマとなっていた、とのこと。うーん、その辺あまり意識できてなかったな?

 

一人ひとりに講評をつけてくださった(本当に感謝…)のだが、全体に「今日的な状況についてナメている」ところがあると。「今はこうだ」と一言で済ませてしまっていて、しかも典型的な二項対立の図式に落とし込んでいたり、凡庸な解釈になってしまっているとのこと。

また、課題の意図が無視されていることについて度々指摘していることに気づく(おそらくこれまでの講師に言われてきたこととの齟齬もあるんだろうな、とは思う)。

 

確かに、少なくとも自分の意識だけを見ても、これまでは対象の作品に焦点を当てて、それを多面的に解釈するというやり方で来ていた。そしてそのやり方においては、社会的な背景とか状況は背景でしかなかった。必然的に、社会自体を対象として論じるということはできなかった。今後はそれをやっていかなければならない。次回の「アメリカの影」についてもまさにそれをしなければならない。参ったorz 

 

それにしても、菊地さんや升本さんの作品に対して真っ向から指摘をしながらも、他の塾生も言っていたが「紳士的」な態度に、(ああ、こういう接し方があるんだ)となんというか目から鱗というか…。基本的に受講生の方々もそうだけど、凄く異なる価値観に対して包容力があって、どのような価値観をも受け容れられる、キャパシティが大きいという印象。佐々木さんの菊地さんに対するコメントに至っては、無関係な僕の方が涙が出そうな(何でだよ、というツッコミは甘受いたします)くらいの愛情に溢れていたりしたわけで…。

 

自分がこれまで属してきた理系の研究室とエンジニアという業界で、「ダメなものはダメ」と全否定して憚らない方々に接してきたと思う(もちろん、それが人格否定やらその他のところまで波及したりはせず、対象が異なれば切り分けて態度を変えられるところはさすがに知的なところだと思うのだけど)自然と自分もそういう姿勢になってきていたと思う。だから、ことあるごとに批評再生塾の講師/受講生の方々のキャパの大きさと、アプローチの方法という面で学ばされることがあり、その辺は現在の仕事の仕方にもダイレクトに活きてきそうな気がします。