2015-01-01から1年間の記事一覧

第11回の反省

平倉さんの講評は自分(豆生田)の文章の説得力の欠如を痛烈に指摘していた。『ライフ・オブ・パイ』におけるリチャード・パーカーの立ち位置が《絶対他者》であったことは、論証するまでもなく自明だという思い込みが、この批評文の独善性に繋がってしまっ…

第11回課題進捗

課題発表時のブレスト(?): ジャニーズのライブか岡田准一(=武道) DDR、音ゲー ダンスとか。 食事 とりあえず体の動きに関連しているものを適当に挙げてみただけ。 第10回課題終了後のひとりブレスト: 音ゲー(=手先だけでなく体全体を使うものが多…

第10回課題を書き終えての反省

普通にダメなこと とにかく粗い!!!!いろいろ粗っぽ過ぎて嫌になる…。流れ的にはそこまで酷くもないんじゃないかと思うが、なんというか端々の全く重要じゃない表現が無駄にひっかかって減点食らう感じ。小骨が異常に多い魚食ってるみたい(って我ながら…

息切れ

ちょっと最近辛い。 本業が微妙な感じなのがダイレクトに生活と精神に強い影響を及ぼしている。そのせいで、これまでギリでやってきた再生塾が非常に辛くなっている。再生塾自体、自分の筆力の脆弱性と進歩の無さ、地頭の悪さが回を経るごとにわからされて、…

さやわかさんの講義を受けて

再生塾の前半は「文化」個々のジャンル、後半はもっと広い形で「政治」とか「社会」とか「状況」というテーマとなっているさやわかさんはちょうど折り返し地点で、「前半の「文化」について書きながら、後半扱うべき「社会」について書けるのか」というのが…

執筆環境

エディタ、アプリ エディタはGoogleドキュメントを使っている。通常の業務ではテキストエディタ(emacs)を使っているのだが、何かを作る時にはリッチエディタの方が何かと便利。色やコメント、リンクの埋め込み、ページ内リンク(目次を活用)が使えるのは…

「批評」という肩書を背負った文章を公開するということの意味

山崎健太さんの一連のツイートから引用。 「自分の文章に不正確な内容が含まれていること」をよしとしている ことは、 読者に対する裏切りであり、さらに言えば演劇に対する裏切りだと思います。原典にあたらないだけでなく(当たり前の話ですが、期限までに…

第9回課題〜書きながら→書き終わっての反省。

書いてる間に感じたこと。 論説の流れを漠然とイメージできたとして、そこがスタート地点。スタート地点にたどり着くまでが長いので、辿り着けただけでだいぶ気が楽になることは確かだが、それが罠である。スタート地点からゴールまでは言うまでもなく長いの…

安藤礼二さん回

久方ぶりの充実感であった。これまでの講義のまとめ的な意義すら感じられた。東さん的要素、三浦さん的要素、渡部さん的要素、まとめた上で批評を書く上で重要な新規要素について教えていただいた感がある。東さんは「ただ茫漠と書いているのは絶対ダメ」と…

ここ2回の講義と課題について

渡部直己さんの講義と、安藤礼二さんの課題、講義があったが、それについて全く言及できないままだった(※1)。 渡部直己さん講義 渡部回はテマティスム(といっていいと思う)の講義。しかし、細部に宿る神を探せ、と言われた時に、テマティスムという言葉…

締め切りに追われて何が嬉しいか

本を読むのが速くなる 時間がないことに気づく=自分なりのかかる時間がなんとなくわかってくる 集中の大事さに気づく。 集中といっても集中力という計測できない対象ではなく、純粋にエディタを開いて作業している時間ということ。TwitterとかFBとか見始め…

第7回課題に取り組みつつ考えていたことなど

今回とりかかりが遅れたのは、間違いなくただの「怠慢」によるもの。意識が下がってる感はある 直前になってバタバタというのはやめよう、本当に。 自分の課題がそもそも、 まずはそのベースとなる文章力/構成能力を磨こう。人が読みたいと思う、読ませる文…

市原ぞうの国(CW: Sayuri World)

今回は批評を離れて軽い話題。 週末が父の誕生日だったので、実家に帰ってお祝いついでに「市原ぞうの国」に行ってきた。ここは市内の森の中にある小さな動物園なのだが、飼育しているぞうの頭数は日本一(カピバラもそうだったかもしれない)という、ぞうに…

批評の面白さとは

自分はこれまで批評をまともに読んだことがなかった。だから、批評再生塾に入ってから全く新しい世界に触れた、といって決して過言ではない。こんな面白い文章のジャンルがあったのか。素直にそう思ったのだ。まさに自分が求めていたタイプの文章がそれだっ…

湯浅学さんの講義に出席して

(第五回講義の出席後の所感です) 実はこの日は(会社がお盆休みだったこともあるのかもしれない)モチベが低かったのだが、その分、内容の濃さと自分がこれまで築いてきた批評観に対するインパクトと、自分の圧倒的な実力不足が明確に可視化されたことで際…

第6回講義を終えて

畠中実さんの講義だったが、結局は「読ませる文章」が大事だ、ということ。それって批評以前の問題だろうけど、実際大概塾生の提出する論文が批評以前のレベルだってことなんだよね。だからわざわざそういうことを言ってくるわけ。ごく一部、そうでない塾生…

書いた後の反省

第6回・畠中実課題(「音響」という視座から新しい視点や解釈を与えること) 今回は執筆の時間がいつも以上に短く、推敲する時間がほぼ取れなかった。いうまでもなく完成度は低く、粗が目立つ。 単語・用語の選択に必然性が乏しく、ブレがある。この意味では…

第6回 書きながら反省

事前に考えたこと まずはネットででも何でもいいので、課題の周辺、背景を調べる#なんでそれをこれまでしていなかったんだろう…。#背景が余り必要でないものがあった?#今回は意味を理解するために必須だったな…。 課題と作品は問いと答えでかなりの柔軟…

書きながら反省。

批評を書くためには…元ネタというか、「批評的な作品」を適宜引用することが重要だ。そこで引き出しの多さが問われる。そして自分的にはそれが一番致命的に不足している。他の受講生と比較して、圧倒的なビハインドになっている点。文学作品に全く触れていな…

浅田彰の《クラインの壷》周辺の議論

この議論(クラインの壷周り)の流れ面白いわー http://t.co/cNDGVBUZx2→http://t.co/YlOyUDz3Tn→http://t.co/wwp1hSUkv3→http://t.co/9PjShwcBHe→http://t.co/tfoDF2xput— まめごー (@mamego_) July 27, 2015 ソーカル事件と『「知」の欺瞞』を背景とした、…

講義を受けて所感

サスペンスフルな批評として「小形式 image-action petite forme」と、ディスクリプション(場面描写)が必要だったかなという。 しかし登壇者の論考にそれがあったかというと?講師の三浦哲哉さん的には多少物足りなさがあったのかもしれないな。というより…

今回の反省

「書く練習はしなくていい」ようなことを言われた気もするけど、やはり凡人かつ無教養な人物としては書く練習をしなければ課題を提出できない。 発散させ過ぎた 今回の反省はまず発散させ過ぎたということ。アイデアは出てはきたものの、それを選択して煮詰…