第7回課題に取り組みつつ考えていたことなど

今回とりかかりが遅れたのは、間違いなくただの「怠慢」によるもの。意識が下がってる感はある 直前になってバタバタというのはやめよう、本当に。

自分の課題がそもそも、

まずはそのベースとなる文章力/構成能力を磨こう。人が読みたいと思う、読ませる文章を書けることを目指そう。それがこれから当面の自分の課題だ。

 なので、書評としての批評を目指すのはやめておく。

「読ませる文章」というのはどういうことなのかについて反芻する程の余裕はなかった(次回への課題だ)。しかし「リーダブルであること」というのが、2chとか今回の升本さんの論文について、あるいは富久田論文に関して結構言及されていたように思えるし、前回講義の最後に佐々木敦さんが言っていた下記の発言は、

目指すべきことというのは、なんかの「○○特集」あった時に、「この人に書かせてみよう」「この人、○○が好きかどうかわかんないけど、彼に書かせたら何か面白いこと出てくるんじゃないか」と思わせる存在にどうなるか

要は

ということなのかな、と自分なりに解釈している。

今回の課題の批評のカテゴリーは文芸批評であり、到底ガチ勢に小手先の技で太刀打ちできるはずもないので、自分的には自分の目標——読ませる文章、リーダブルな文章を目指して臨む機会とみなそう、と弱々しいことを考えていた。

書いている途中に考えたこと。

案外、いろいろ思いつく。こじつけという程でもない、良さそうなネタはぱっぱっと浮かんでくる。批評の対象がガチの文章という、実はこれまでに一度もなかった(!)事態なので、これまでとはだいぶ手応えが異なる感じがある。「そのまま引用できる」というのは大きい。四千字くらいであれば、結構あっさり書けるんじゃないかと思わせてくれる。これまでも文献を参照することはもちろん何度もあったが、それはあくまでも参照に過ぎなかった。

そして、定量的な分析もしやすい。相手はガチの文章なのだ。文章ということは、言葉や言い回しなどが例えば何度出現するとか、どういう単語を作者が使っているのかという傾向も数値として立ち現れてくる。

また、小説自体これまであまり読んでこなかったが力のある書き手の小説はかなり面白いことがわかった。これは何を書くかはあまり関係がないような気がする。

しかし現実は理想に程遠い。なんだかんだ考えつつも、後は時間に間に合わせるために結局今回もただ文字数を埋めるだけの機械になってしまった。

また、「読ませる文章」を目指した今回としてはもう諦めるつもりではいたのだが、やはりただの読書感想文になってしまう

批評:既存の思想や枠組を踏まえつつ、新しい観点を発明すること。
読書感想文:既存の思想を踏まえずに、主観的な意見を書き連ねること。

さらに、「読ませる文章」についても何ら考えることもできず、工夫を凝らす努力さえ放棄して、何一つ前進がなかった。何かとりあえず本でも読もうか…。

書いた後に思ったこと

自分の反省としては、やはり急ごしらえというか、考察が浅い感じは凄くあるし、前提として読み解いた上での批評、であるべきなのに、その読み解き段階で終わってしまっている感。「美味さ」と「甘さ」の違いなんて最初に注目すべきところではないし、付け足しみたいに「あ、ここも違うよねw」程度のノリで触れる程度だろう。もちろんそれは読解の結果ではあるにしても、それは読書感想文の域を決して出るものではない。

改めて感じたことは、批評というのは確かに最初の論旨に対して、「一旦書き上げた」時の論旨が微妙にもしくは大きくズレてしまっている、ということ。
つまり書いているうちに設計図が変わってくるのである(そしてそれは、決して否定されるべき点ではない。批評を書くというのはおそらくそういうことなのだ)。言い換えれば、論旨というのは書きだす前に一度生み出されているべきだが、書き上げた時点で再度生み出される

とすると、最初に書き上げた結果というのは、書き上げる過程で散々試行錯誤や推敲を繰り返して生み出されたものかもしれないし、一見完成作品に見えるかもしれないが、それは決して完成品ではなく中間生成物に過ぎない。それは最後の重要なプロセスを欠いている。つまり、検証プロセスを経ていない。一度書き上げた後に再度全体として推敲をしなければならない。そうしなければ完成しないのだ。その作業は、単に「念のために見直す」という意味ではなく、一つの不可欠なプロセスである。いわば、アプリが動作する状態になったが動作検証は行っていない(未検証)という段階である。この時点でリリースする人はいないように、一度書き上げた時点で即投稿するというのはプロセスを欠いた不良品を投稿しているのと同じだ。

少なくとも1日分、推敲プロセスに費やす。これで見違える程に完成度が上がるのではないかと思う。一度やってみよう。

 

しかし、未だに「『批評』とは」ということが大分なおざりにされているんじゃないか、まずは「読ませて面白い文章なら何でもいいよ」という空気に塾生の間ではなっているんじゃないかという危機感はある。「批評とは」という問いかけについても、最初の頃の回(東浩紀さん、渡邉大輔さん、三浦哲也さん辺りまで)以降は踏み込んでいないのではないか…。

また、読ませる文章というレトリック以前に、内容を面白くするためにはどうすればいいのか、と考えてみたい。それは、結局面白い論文をガンガン読んで、そのエッセンスを取り入れるということが不可欠になるだろう。