「批評」という肩書を背負った文章を公開するということの意味
山崎健太さんの一連のツイートから引用。
ことは、
そうおっしゃっておりました。
居住まいを正される思いです。
佐々木敦さんは非常に寛容に多様な価値観を受け容れて一定の評価をしてくださっているし、批評再生塾自体が基本的に可能性のある人を更に伸ばすという方向性であり、全員を伸ばすというのが目的ではなく批評再生を掲げているので、カルチャークラブや個人指導塾とは異なる(そういう意味では、常にトップ3を選抜する方がよいと自分的には思える)。だから、登壇レベルに達しない人の批評に関しては、当然ながらそんな細かい指摘はできるはずもないわけです。
ですから、こういうことをちゃんと指摘して叱責してくださることの価値というのは本当に大きいと思います(このツイートの背景は私は全然把握してないのですが)。
ウェブで公開する文章を書くということの意味、恐れ多くも「批評」という肩書を背負った文章を公開するということの意味を改めて反省する必要がある、そう思わされました。