安藤礼二さん回

久方ぶりの充実感であった。
これまでの講義のまとめ的な意義すら感じられた。
東さん的要素、三浦さん的要素、渡部さん的要素、まとめた上で批評を書く上で重要な新規要素について教えていただいた感がある。
東さんは「ただ茫漠と書いているのは絶対ダメ」と言われたが、安藤さんには「「書く」ことです。(批評を)書きたかったら(批評文を)書くしかない」と言われた。この差異は我々の成長であったと信じたい。

講義中の言葉

  • 「言葉」で「言葉」を批評→自家中毒。「言葉を読んで言葉を書く」だけでは新しいものは生まれてこない。そういう切実な思いがあった
  • 「共感」「感動」それがないと読み進められない。そしてそれらは「記憶」に結びついていなければならない。
  • 「身体性」初めての領域(音楽とか、スポーツとか)を言葉で表現する。当たり前じゃない方向から物事を見れる。オリジナリティは言葉にならなかったものを言葉にして、言葉の領域を広げるということ。
  • 「研究」と「批評」の違い:「研究」はがっちり調べる。「言語化」する。「批評」は、がっちり調べただけでは批評にならない。批評は「身体性」が無きゃダメ。
  • 批評における「プロ」と「アマチュア」:プロは領域を自明視してしまう。(引用、参照を禁じたのは、そのような自明視を避けるため)→批評にプロはない。アマチュアリズムがないといいものは書けない。
  • 自分でどう差異化するか、が重要。既存の問題系を受け入れた時点で答えが出ちゃう。問題を立てる方が重要。
  • 提出作品に全体に足りていないのは「具体性」。例えば祖父について書いた方(綾門さん)、「感情」をもっと具体的に書いてほしい。具体性にもう少し深みがあるとよい。この訓練はして損はない。
  • 批評は単なる知識の披露ではない。答えはないから問題を立てつつ造形していくしかない。それは物語、あるいは作品。「かけがえのない記憶」をどう外側に開いていくか。
  • 論じる対象のディスクリプションをしなければならない。細部に思わぬ発見がある。「測量」大事。まだ、みなさんの作品は「印象」を書いている。「測量」していけば、いいものが書けてくるはず。
  • 本当に自分自身が発見したものでなければならない。好きなモノ(文学作品にこだわる必要はなく、山登りでもスポーツでもよい)を選ぶ方が悔いが残らない。愛の問題。自分なりの愛の言葉を作り上げなければ、振り向いてくれない。
  • 難しいのは例えば「決闘」、「戦い」、「苦痛」いろんな力が作用していて、これが出来るだけでも凄い領域にいける
  • 文章だけ読んでもわからない(実際に体験、記憶する必要性)。最初は文章だけで書けるが、やはり直接行ったり、動かさないと見えてこない
  • 折口をやっているのは、「今、自分が立ってる場所を知る」ため。自分自身の納得を求めて書き続けている。現在を語るためには過去からもう一度現在を照らしださないといけない(歴史的な遺産に触れて「経験」する→歴史を「体験」する)。
  • 「プロの文芸批評家」は文学を批評しないといけない。しかし、これでは先細りになる。文学の作者は実践しているのに批評家はそれに寄り添うだけでは迷惑。離れた地点から照らし出す必要がある。そういう距離感、視点、絶対に必要。
  • オーダーが来ると回路付けされてしまう。そうなると、思い切ったものが書けない。
  • 面白い小説には、思ってもいなかった未知なるものがある。批評にもそういうものがある。「発見」がなければならない。突如何かを思いついたときに、恐れないでやっちゃってほしい。できるだけ派手に失敗した方がいい。
  • やっぱり量書いていかないとダメ。凄い作家は凄い多作。強烈な作家は、作品ばかり作ってる。プロダクティブ。失敗を恐れずに作っては捨てていく。乱暴さは結構必要。変にまとまるより(そんなまとまった文章なんて世の中にいくらでもある!)できるだけ派手な失敗をした方がいい。
  • そこに自分の身体がある、そういう本を書いてほしい。

やさしさに包まれたなら』ではないが、全ての発言がメッセージ、みたいな。
批評というものは何もかも自明視できない、プロがいないプロ足り得ない。そして体ごとぶつかって表現していく。・・・

批評観はもう二回りくらい変わり続けてきた気がするけれども、ある意味絶望的な認識というか…。ちょっと私にとっては高度過ぎるかな…。と思わなくもない。

強引にまとめる(超訳気味)と、

批評においては、アマチュアリズムを持ち、領域を自明視せずに、既存の問題系に乗る/回路付けされることなく、自分自身で問題を立てていかなければならない。対象/感情を言葉で捉えるだけではなく、身体性を活かして具体的にディスクリプションするべき。その過程で、当初は思ってもみなかった「発見」がある。その際に、恐れずにやってしまうことが大事。その結果、出来上がった作品/論文には「自分自身がいる」ようなものになる。書きたければ、どんどん書いていくしかない。

といった感じか。素晴らしかった(ため息)

そういえば、

ツイッターで呟いたら綾門さんが寺山修司、野村さんが内田樹を勧めてくれた(ありがとうございました!)。身体性が重要、といっても具体的にどういうものか、ちょっと見本を見たいという弱々しげな動機なので恥ずかしい話だが・・・。